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Voyage of Life

日々の読書、子育て、暮らし、仕事から学んだコト

ベビーカー問題で考えるぜいたく品と必需品の境目

子育て・教育 考え方

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ferobanjo | Pixabay

 

ベビーカーは、子供のためではなく、親が楽をするための道具であるというようなことを語ったPRESIDENTの記事が炎上しているらしいですね (トピック「ベビーカー」について)。

記事そのものはマイルドに書かれているのですが、以下のような言葉が刺激的だったのでしょう。
「ベビーカーは親のために開発された便利な道具に過ぎません」
「でも、ちょっと気を抜くと周囲の他人に迷惑をかけているのです」
「ベビーカーは必需品とは言えない。」
 
この記事には、いくつかの論点が詰まっていますので、少し考えてみました

 

☑なぜベビーカー女子を助けないのか?の記事の論点

まず、筆者の論点を整理すると、次のようになると思います。
  • ベビーカーは子供ではなく親にとって便利な道具であり、必需品とはいえない。(ぜいたく品とまでは言ってませんがそれに近いイメージかもしれません)
  • 必需品ではないベビーカーは、周囲の人に迷惑をかけていることを忘れてはならない。
  • だから、そんなベビーカーを運ぶことを手伝わないからといって、責められることではない。

 

☑ 必需品かどうかを決めるのは本人

ここで、便利な道具と必需品の違いについて、次のような車の例で考えてみたいと思います。

  • いなかで暮らす人たちは、移動手段として、もっぱら車を利用している。

  • 歩こうと思えば歩けるわけだが、移動距離が長いので、時間もかかるし、疲れてしまう。

  • 車が走れば、事故を起こしかねないし、排気ガスで空気が汚れてしまう。

 

この車は、必需品ですか?単に田舎で暮らす人たちにとっての便利な道具ですか?

車に乗ることで発生する迷惑を許せますか?

 

田舎で暮らす人たちが、とても健脚の持ち主で、歩くことをまったく苦にしない人たちであれば、この車は単に便利な道具に過ぎないのかもしれません。贅沢品なのかもしれません。

 

しかし、歩くことでそこそこ疲れてしまうような普通の人にとっては、もはや必需品に近いでしょう。車がなければ、日々の買い物や病院通いなど、生活が成り立たなくなってしまいかねません。

 

つまり、その人が歩くことに対してどのように感じているかによっては、車は単なるぜいたく品にもなるし、必需品にもなるのです。

必需品かどうかを決めるのは、他人ではなく、本人だけなのです。

この記事の違和感は、それを他人が決めつけてしまっていることによるものだと思います。

 

☑ ベビーカーが必要な人の気持ちはどういうものか?

ベビーカーは、ぜいたく品というのは、その人たちの気持ちを分かっていないことによるものですが、子どもを育てたことがなければ、その苦労がわからないのは当然だと思います。ボクだって、子どもが産まれて初めて見えた世界がたくさんありました。

 

抱っこについては、ボクも基本は抱っこしたい派なのですが、以下の理由でベビーカーが必要なときがあります。

  • 疲れて、親の方の元気がなくなってくる。
  • 次の日、腰がやられる。(2歳にもなると、もう腰がやられます)
  • 夏は暑い。親も子どもも汗だく。(ベビーカーも灼熱のアスファルトの上は暑いから注意)
  • 寝たときは子どもがぐにゃぐにゃになって不安定になる。
  • 両手がふさがると危ない。(抱っこひもは重宝しましたが、2歳の子はなかなか収まってくれません)

そういう気持ちを少し共有できたら、少しだけ優しくなれたりしないかなと思いつつ、挙げてみました。

 

☑ベビーカーの迷惑はもう少し許されないものか?

ベビーカーは、やはり周りの人の邪魔になってしまい、電車とかは、本当に申し訳ない気持ちになるときがあります。

そういう時に、開き直って、何が悪いの?こっちは子育てしてるんだよ。という態度ではいけないとは思いますが、やはり、子どもはゆくゆくは日本の社会を支えていく重要な存在なのですから、そこに身をささげている若い親たちを温かく見守ってくれてもいいのではないかなという気もします。

まあ、好きで産んで、育ててるのですけれど。3人も!

子ども3人育てることは2人育てるのと全く違うという話 - Voyage to the Future

 

☑助けるかどうかはその人が困っているかどうかで決めればよい

で、結局そもそもの記事にあったベビーカー女子を助けるかどうかという本題については、その人が困っているんだったら、助ければよい。ただ、それだけではないかと思うのです。

先ほどの、田舎の車のケースで、歩くことをまったく苦にしないスーパーアスリートな人が、バッテリーがあがってエンストしてたとしましょう。

勝手に贅沢して、空気を汚す車に乗っているんだから、苦労してても知らんわな。

となりますか?

今、困っているんだったら、ただ、助ければよい。

それだけだと思うのです。

 

まあ、でも、ごめんなさい。

たまに、電車に乗っていて、めちゃくちゃ登山してきたっぽいオバちゃん集団が、疲れたーと言って、鬼のようなスピードで電車の座席を木端微塵に奪ってしまった様子をみると、少し腹が立つことがあります。

好きで登山してんだから、疲れてるからといって、その態度はあかんやろう。と

 

まあ、こういう感覚で、ベビーカーを見ている人もいるのでしょうね。

 

ということで、今日は、なぜベビーカー女子を助けないのか?の記事をきっかけに、以下について考えてみました。

  • 必需品かどうかを決めるのは本人であり、他人が判断できるものではない。
  • ベビーカーが必要な人の気持ちはどういうものか?
  • ベビーカーの迷惑はもう少し許されないものか?
  • 助けるかどうかは、その人が困っているかどうかで決めればよい
今日は、いじょうでーす。