Voyage of Life

3人の子育てパパが日常と読書から学んだコト

不器用な人間が世界を変えてく

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糸井重里さんとライフネット生命の出口治明さんの対談を読んで勇気をもらえる話があった。

(対談:「ゼロになる40代」から「何でもできる50歳」へ。 - ほぼ日刊イトイ新聞

 

世界を変えるのは、

不器用な人間なのだということ。

 

うまくやれる人とそうでない人がいる。

まず、バーナード・ショーの名言に次のようなものがあるそうだ。

合理的な人間は、自分を世界に適応させる。

非合理的な人間は、自分に世界を適応させようと、粘る。

あらゆる進歩はこの「非合理的な人間」に頼っているのだ。

(バーナード・ショー) 

 

ここでバーナード(馴れなれしい?)の言っている「合理的」とは、

ムダな努力をせず、

環境やルールの中で

効果的なやり方を見出し、

効率的に、うまく生きてく人のことだ。

 

ムダが多いやり方を徹底的にきらうという類の合理的ではなく、

自分のエネルギーをムダに消費しない

(そのためには、無駄を生み出す組織の決定には割り切って従うことをいとわない)

という意味の「合理的」な人。

 

うちの会社でも、

うまくやっているのは、

理不尽なルールや指示、依頼でも、

ムダな抗いをせずに、はいはいとできる人が多い。

 

組織で生き残って、給料もらうとはそういうことだし、

そういう人間が組織では求められてきたのだから仕方がない。

 

器用な人は自分の人生を生きてるか?

ただし、

すぐに状況を見極めて、

たくさんの知識を集めて、

これは無謀だと諦めてしまったり、

抗わずに従ってしまう方が、

自分も楽だし、

周りから受け入れられやすい。

しかし、

それで自分の腑に落ちる生き方を

犠牲にしているならば、

良いものとは言えない。

アルフレッド・アドラーの教えで言う、

「他者からの承認」を

安易に求めるために、

他者に自分を合わせていくことに近い。

詳しくは、「嫌われる勇気」参照)。

あるいは、

仕事の内容はともかくとして、

少し偉くなることで、

権力を手にすれば、

それで満足を感じる人もいるだろう。


だけど、それで果たして、

自分の人生を生きてるのか

ってことだ。


仕事は割り切ってプライベートに生きるか?

別に仕事で満足を得ようという気が

ない人もいるだろう。

単に仕事に対して、自分の理想とかを

持ち込んでいない人は、

そもそも簡単に割り切れ、

周りに簡単に合わせられるだろう。

器用に生きるには、

仕事において

自分の理想を持たなければいいのだ。


プライベートを充実させれば、

自分の人生を生きていると

言えなくはない。

だけど、仕事に思い入れが

まったくないのも寂しい。

人生のうち、1/3は寝て、1/3は働く。

寝る以外の半分の時間を注ぐ仕事において、

自分を殺すのは

もったいないとボクは思う。

 

不器用な人間は苦労するが価値がある。

一方で、

自分がいいと思うことに誠実に生きようとしても、

自分一人で生きているわけではないので、

なかなか苦労する。

単なるワガママにもなりかねない。

組織の中ではなおさらである。

 

それでも、あるべき姿に向けて、

粘ってしまう不器用な人にとって、

さきほどのバーナードの言葉は勇気をくれるし、

糸井さんも次のようなことを言ってる。

でも、不器用な人は
どうしていいか、わからないんですよね。
すると、自分がいいと思うこと、
自分が腑に落ちることしかできなくって、
結果的に
そういう人が世界を変えていくんだ、と。

あまり考えてこなかったけど、

不器用な人って、

まず「自分がいいと思うこと」をしっかり持てている。

これはスゴイことなのかもしれない。

そして、その自分で考える理想を大事にしながら、

その理想に向かって、エネルギーを費やしながら、

現実や常識と戦える人というのはそうはいない。

 

そんな不器用な人が

世界を変えていくのだから、

もし、自分のことを不器用だと

感じていたら、

その自分の価値を

もっと感じた方がいい。

 

理想を持ちつつ、もう少しだけうまくやろう。

だけど、単に自分の理想を押し通しては、

かえって遠回りになってしまう。

これは、「頭にきてもアホとは戦うな!」という

田村耕太郎氏の教えのとおりだ。

 

だから、不器用さを感じている人は、

そんな自分の「価値」を知った上で、

その理想を実現させるために、

もう少しうまくやろう。 

人の輪の外から、わーわー言ったって届かないから、

輪の中にまず入ってから

言っていくとか、少しだけうまくやる必要があるのだ。

 

器用に生きてきた人は、抗うヤツを大事にしよう

そして、組織や器用に生きてきた人は、

不器用な人間を

もう少し大事にしてはどうだろう。

器用な人間ばかりでは、

新しいものを生み出せないし、

これからの世の中は、

途上国は発展してきて手強い相手になるし、

日本の人口は減ってきて

市場は縮んでいく。

なにか変えていかないと、

生き残れないから。

(Googleとかは、そんな不器用な人をどんどん集めているのかも)

 

そして、今までは、

うまいことやってきた「合理的」な人も、

プライベートを楽しんでる人も、

今、権力を手にしていて、

あと少しで逃げ切れるかもしれない偉い人も、

少し後のことを考えて、

ほんとにやばいことには

「勇気」を出して

声をあげていくべきときが来ている。

 

それと、

いろいろ傷ついて、

おとなしく器用に生きる方に転換した大人たちも、

そろそろ一周して、自分の理想を思い出し、「勇気」を出して、

今度はもう少しだけうまくやってみるべきだ。

時代は、ちょっとずつ

変わってきているから。