先週、ついにアドラーブームのきっかけになったベストセラー「嫌われる勇気」の続編「幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII」が発売されました。
前作「嫌われる勇気」は100万部を超えるヒット作で、多くの人がアルフレッド・アドラーの教えを知ったわけです。
「嫌われる勇気」アドラーに学ぶ、今すぐに自由と幸せを手に入れる考え方のまとめ
しかし、実践はなかなか難しくて、結局、理想論ではないか?とか、
理解が難しいところもあって、こういう理解でいいの?という疑問の声が筆者にも多く聞こえてきていたのかもしれません。
そのあたりの悩みや疑問をよく把握している筆者は、青年にその悩みを託し、哲人にぶつけさせることで、2人の対話の中で、アドラーの教えをさらに整理していこうとしています。まさに、アドラーの教えの「応用編」「実践編」という感じです。
この中から、今回は教育、子育てについて。
特に、子供をまずは尊敬することから始めるべしという話が印象的だったので、それについて整理して考えたことを書きます。
教育の目的は子供の自立を支援すること
子供はまず、赤ん坊として、身体的に、ひとりでは生きていけない弱い存在として生まれてきます。
そして、生き残るためには、特別な存在にならなきゃならない。
他人から認められるなければならない。
そういう意識を強く持って生きていくことになりがちです。
しかし、他人からの承認なんて気まぐれだし、あてのないものだし、人それぞれの価値観によるのだから、それをあてにしていたら、自由に、幸せに生きていけない。振り回されてしまうのです。
だから、他人と自分をある程度切り離したなかで、他人とうまく関わり、世界のなかで自分の居場所を見つけていかなければならない。
子供から大人になるに従い、やれることが増えていく。そのなかで、精神的にも大人にならなきゃならない。つまり、他人の目ばかりを気にするのではなく、ありのままの自分でいいと信じ、自分として、過去の自分より成長していくために、そして、他人に貢献していくために何ができるかを考えることだ。
それが、自立するということなんだ。
そして、その自立をサポートすることが「教育」である。
自立のためには、子供扱いせず尊敬すること
他人、とりわけ、親の目線を気にしながら生きている子供が自立するためには、まず親や大人が子供を子供扱いしないことが大切です。
親がまず子供を尊敬することです。
尊敬とは、次のようなことだとあります。
「人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力」
「その人が、その人らしく成長発展していけるよう、気づかうこと」
子供たちが自分の軸を持って行動するためには、ありのままの自分でいいんだよ、と勇気付けることが、必要になるんです。
尊敬の入り口は、子供の関心事に関心を寄せること
では、どうすれば子供に尊敬の思いを伝えていけるのか?
その入り口は、「子供の関心事」に関心を寄せることなんだそうです。
この具体的な行動の手引きまで書かれていたところに、続編の大いなる意義を感じました。
だけど、正直難しいですよ。
子供がダラダラとテレビを見ている。
そろそろテレビ見るのはやめなさいと言えば、すぐにその状態を視野から消し去ることはできるのでしょうが、子供にとって、「言われたからやめる」「怒られたからやめる」という子供根性がさらに根深くなり、自立という教育の目的からは遠のいていく。
かといって、そのテレビで何を面白いと感じているのか。子供の関心事に関心を寄せるところから始めるのは、親として気の遠くなるような寄り添い方です。現実としては、結構しんどいと思います。
だから、ある程度スルーしつつ、もう少し肯定しやすいことを子供がやっているときに、その行動に関心を示し、語りかけていく。そういうプチサイクルを回していくことを心がけたいと思います。
共感するということ
尊敬することと共感することは、とても近い。
教育のことだけでなく、共感は他者と関わる上でとても大切です。他人に寄り添うときのコツとして挙げられている、アドラーの言葉に次のようなものがあります。
他者の目で見て、他者の耳で聞き、他者の心で感じること
「もしもわたしがこの人と同じ種類の心と人生を持っていたら?」と考えることで、他人に共感することができる。
そうすれば、その人をまずはありのままに受け容れて、尊敬を伝えることにつながりそうです。
おわりに
ということで、教育の目的は、子供の自立をサポートすること。
そのためには、子供の関心事に関心を示して、子供のありのままの姿を認め、「尊敬」していくことです。
今回は、教育という視点で書いていますが、他者と関わるときに大切になる他者への「共感」は「尊敬」と同じ話だと思います。
いやあ、子育て、教育は、次のような自分との戦いですね。
- 効率的に結果を出したくなる、せっかちな自分
- 自分の親に感じていた威厳のようなものを示そうとする自分
- ついつい子供に対して自分の責任を感じすぎてしまう自分
もっと、成長していかな、あかんです。