Voyage of Life

3人の子育てパパが日常と読書から学んだコト

本気で組織の不正を無くすために今すぐトップがやめるべき4つの行動(コンプライアンス徹底とは何か)

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三菱自動車の燃費不正

先週、三菱自動車の一部の車に、燃費を不正に算出していたことが発表されました。
2000年、2004年に生じたリコール隠し問題から、信頼を取り戻すための活動は続けられてきたのだろうし、デリカD5や、アウトランダーなどの個性的ないい車も生み出されたてきたようにも感じていたわけですが、またこういうことが起きてしまったのです。
  

幹部は企業倫理の遵守に向けて努力してきた

幹部は、不正は絶対にダメと言い、企業倫理の遵守を社員に誓わせてきたという。
それなのに今回のようなことが起きたことに対して、トップは次のようにコメントしている。
これまで2000年以降、石垣を積み重ねるように改善していたが、全社員にコンプライアンスの徹底を図ることの難しさを感じている。無念であり忸怩(じくじ)たる思いだ」(日本経済新聞
じくじたるって、こんな漢字なんですね。
 
三菱自動車のホームページを見ると、コンプライアンスの徹底に向けてどれほど取り組んできたのかということ細かに紹介されています。
当社の企業倫理基準である「三菱自動車企業倫理」をより実務に即した社員の行動のガイドラインとなるよう全面改訂し、その遵守を誓う誓約書に全役職員が署名しました。(http://www.mitsubishi-motors.com/jp/social/csr/compliance.html
やれることはやってきたと言えるエビデンスは確かに揃っているのです。 
 

ではなぜコンプライアンスが徹底できなかったのか?

 これほどまでに企業のトップがコンプライアンスの徹底をはかる活動をしているにもかかわらず、なぜ不正が繰り返されるのか?
どれだけ頑張ったかじゃない。結果がついてきていないんだから、根本的にアプローチを間違っているんじゃないの?って、いつもされてるようなツッコミを抑えながらも、今日は真面目に考えてみました。
 
2ケース考えられます。
 
担当が個人的にホラ吹きだったという単純なケースと、組織が真実を伝えるのを許さなかったケースです。
 
前者の担当個人の問題だったとしたら、社員の教育が足りないとしか言いようがない。
ただ、以下の記事のとおり、性能実験部というところが、設計されたモノに対して、最終的に性能を確認評価しているという体制のようだから、個人的リスクを負ってまで、実験屋さんが性能を自発的にごまかすほど、愛社精神がある個人がいるとも思えない。
 
うっかりルールを知らなかったということでもない限り、担当はダメなものはダメと、まずは報告したのではないのかと想像してしまいます。
 
ここからは完全に推定ですが、
 
やはり第二次世界大戦で日本がぼろぼろになりながら敗戦していったときと同じように、組織的な問題が残っていた可能性があるのではないでしょうか。

 

もちろん、こんなコンプライアンスの活動の中で、トップの誰かが明確に「NOと言うな」と言ったわけではないだろう。言うわけないだろう。
何も言わないけれど、空気がそうさせたのではないでしょうか。
 

空気を変えたければ、紙の上の宣言だけではダメ

本当の報告をしたら怒られる。
本当の報告をしたら評価が下がる。出世できない。
 
いくら高邁な宣言を掲げ、絶対に不正はしませんという宣言に署名させたとしても、実務の中で、こういう認識を「幹部やトップの下の人たち」が持ってしまったら、はい。ダメな空気の完成です。
 
トップが何も言わなくても、そのトップに権限が集中してしまったら、そのトップにバッドニュースを伝えたくない取り巻きたちが、トップの意思に関わらず、間違った空気を作っていきがちになります。
 
特に、日本人は、そして古き良き企業文化の中で支え合いながら過ごしてきた人たちならば、そういう空気をよく感じ取り、協調性を大事にします。忠誠心ということに近いのかもしれません。
だから、もう効果てきめんなわけです。
この空気ができてしまえば、本当のことがトップに伝わっていくことはないでしょう。
 
逆に言えば、なんのエビデンスを残すこともなく、空気をコントロールすることで、嫌な報告を上げさせないようにすることも簡単なのです。
そして、トップの意図とは関係なく、そういう空気ができてしまうこともある。
 
その空気は、なんとなく醸し出されていくものだから、空気を作るのに加担した人の罪の意識は低いか、あるいは、無いに等しい。だから厄介。罪の意識が高ければ、あ、これは良くないことだと気付けるのに。
 

会社や組織を本当に変えたいなら、たった今からやめるべき4つの行動

不正を起こしたら、隠し通せないくらい情報の透明性や流通性が増している昨今、不正を起こせば会社の未来が大きく損なわれることは間違いありません。
たとえ、出世や評価を一時的に手に入れたとしても、世の中を裏切った気持ちを心の奥に持ちながら、いつか死んでいく時には虚しい気持ちになるでしょう。
トップやトップ下の人たちが、それでも自分の評価を高くしたい、怒られたくないというのであれば、もうどうしようもありません。
しかし、そんな事態を避けたいと本気で思うのであれば、自らの自覚なき行為が不正の原因となる空気を生み出すのかもしれないという事実を真摯に受け止め、行動を変え、空気を変えていく必要があるのだと思います。
そのためには、普段は心地よい自分の居場所を確立するための行動をやめなければならないかもしれません。だけど、あんなに報道陣の前で責められて、謝って、社内の人を路頭に迷わせるリスクを生み出して、世の中の人を裏切ってしまうよりはましでしょう?
 

1.悪い報告に怒ること

悪い報告を受けた時に、顔を真っ赤にして怒ったという事例が1個でもあると、それで空気ができあがります。

それを打ち消すには、以前の報告にウソや誤りがあったときに、さらに大きな怒りを表現するしかありません。

ただ、そんな怒りで組織を動かすのにも無理があるし、身体に悪いですから、事実を冷静に確認して受け止め、一緒に対策を考えるというスタンスを示す必要があります。

 

2.自分の好き嫌いで人事を決めること

これは、「「超」入門 失敗の本質 日本軍と現代日本に共通する23の組織的ジレンマ」にも書いてあった話ですが、人事というものは、想像以上に組織の意思を周囲に伝える力を持っています。

ただでさえ大きな権限を持つトップ。

その人が、そのまんま王様のように振る舞い、気に入った情報を上げてくる人や自分をちやほやしてくる人を大事にし、傍若無人な人事を行えば、その組織の偏った価値観ができあがっていき、トップには、いい情報しか上がってこなくなります。みんな媚びへつらって、いい気分になるかもしれませんが、いい情報しか上げてくるなよという空気ができあがります。

裸の王様にならないようにするためには、フェアな人事に心を配ることが大切です。

失敗した人を責めるのではなく、そのチャレンジを評価するとか、悪い結果でもしっかりと報告した人も評価するとか、空気を変えるには、あえてそのようなメッセージを、人事という形でも気を使って送る必要があるのです。

企業倫理のガイドラインを守ることを社員一人一人にサインさせることよりも、よっぽど効果があるでしょう。

その他、360度評価をして部下からも慕われている人を昇進させるとか、評価基準の客観性や公平性を高めるために、人事部門の役割・協力も大切になるでしょう(「人事部だけが知っている あなたの評価を上げる方法」)。

 

3.偏った目標だけを強調すること

目標を明確にすることはトップとしてはまず重要なことです。
しかし、あまりにそれだけを強調し、強く周囲に求めてしまうと、それに反する報告はしにくくなります。
だから、その裏腹となる行動指針として、「ウソだけはダメだ」とか、そういうメッセージを必ずセットで強調することが大切です。
放っておけば、どうしても、いい話しか上がって来ないのですから、繰り返し語り、トップの大事にしていることを周知していく地道な活動が大切になるでしょう。
 

4.現場の意見をリスペクトしないこと

現場が伝えてきたことを「そうか。それは問題だな」と真摯に一旦受け止めることが大切です。
そうすれば、この人は、現場の悪いニュースも、ちゃんと聞いてくれるのだということが伝わる。
ただ、「わかったけど、なんとかせい。」というだけだと意味がありませんけどね。
現場へのリスペクトが必要なのです。
 

 まとめ

ということで、
今回の三菱自動車で繰り返された不正の一件を受けて考えてみた「本気で不正を無くすために、今すぐトップがやめるべき行動」を4つ挙げました。
逆に言えば、この4つのことをやれば、悪い空気はすぐに作られますから、いくら高邁なコンプライアンスの文書を作成し署名させたとしても、会社を変えることはできないのです。
 
ちなみに、今回の三菱自動車の件の真の原因については、わかりません。
ただ、これをきっかけに考えてみたという話です。
 
そして最後に、担当者や中間管理職の皆さんへのメッセージを送ります。
 
空気を読めないうるさい奴になることを恐れるな。
 
そのうち、化けの皮は剥がれますし、守ろうとしたその組織もろとも存亡の危機に陥りかねません。トップは本当はそんなこと望んでいないでしょうから。
あ、これ、自分にも言い聞かせています。
 
「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))