Voyage of Life

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うまくやる人生 vs 面白い人生

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人生、うまくやるだけなら簡単だ。

 

ニーバーの祈り

人生をうまくやる秘訣の一つに、「ニーバーの祈り」がある。

それは次のような言葉だ。

神よ
変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。

変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。

そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。

ニーバーの祈り - Wikipedia

 

例えば、他人。

他人のことは変えられない。

そこは諦め、他人のことを完全にあるがままに受け容れ、そして、自分にできることをやるしかない。

この例は、少しわかりやすすぎたが、実際に、生きていく中で出会う試練や課題において、どこまでが変えることができて、どこまでが変えられないのかなんて、わからないケースがほとんどだ。

 

人生を楽にうまく生きる方法 

為せば成るとか、そんな頑張りの精神を教わりながら、受験なんかもしのぎつつ、大人になってきた。

だけど、これまで誰もあまり教えてくれなかったんだけど、社会人になってしまったら、人生を楽にうまく生きる方法がある。

それは、少しハードルがあることは、早々に、これは変えられないものだと見切ってしまい、それを前提条件としてしまうことだ。

言うなれば、アッサリ派。

アッサリ考えて、無理そうなことは無理だと割り切って、それにより生まれるスピーディな決断や、ハイハイ言って争わず、ニコニコしている方が、驚くことに、功を奏するケースも多い。

特に、変化を必要としない世の中や組織、環境であれば、早々に、「これは変えられないことだ」「これは無理だ」と見限るに、こしたことはないのだ。

 

楽にうまく生きたいわけじゃなくない?

しかし。しかしだ。

楽にうまく生きたいのか、大変だけど面白く生きたいのか。

どちらなのかをそろそろはっきりさせないといけない。

もし明日死んじゃって、棺桶に入って、幽体離脱して自分を見下ろしたとき、何を思い返して、なんてつぶやいて、あの世に旅立ちたいのか?

あんなこともあって、大変だったけど、オモロイ人生だったなぁ。と言いたくはないか?(あ、ここは人それぞれだけど、)

 

面白く生きるには、アッサリ派では難しい。

簡単にやれることはもうだいたいのことは他人にやられてるから、ハードルのないアクションで、何か新しいことをやれるわけがない。

単に歯車として、グルグル回ってるだけじゃあ、涙が出るような体験はできない。

 

世の中に、何かを生み出そうとしたならば、どこかで、「これは変えることができる」と信じて、勇気を持って、なんと言われようと突き進んでいく覚悟が必要になる。

「コッテリ」と、しつこく粘って、本当に変えられないかを確認していく必要がある。

とっても、しんどいけどね。

 

じゃあどう生きていくのか?

アッサリ派は、それほど変化が求められない時代や環境では、すごく認められやすい。

コッテリ派は、変化が求められる時代に、何かを成し遂げ、頭角をあらわすかもしれない。

 

どちらで生きていけばいいのだろうか。

 

ここでは、ニーバーの祈りが役に立つ。

他人に認められるかどうか。それは、それこそは、自分ではどうしようもない、変えられないことなのだ。

 

だから、間違いないのは、どんな時代や環境や組織にあっても、面白く生きたいのなら、認められるかどうか、他人からなんか言われるかどうか、なんてことは考えずに、やりたい!という思いがあれば、それに素直に従えばいい。

 

ニーバーの祈りよりも大切なこと

変えることのできるものと、

変えることのできないものとを、

識別する知恵を

神が教えてくれるのではない。

 

変えたいのか、変えたくないのか。

ただそれだけだ。

それは、自分の内なる思いが、

教えてくれる。

自分の内なる声に、

ただ耳をすませば良い。

あとは、勇気と思いやり。

忘れませんように。