ぐもじんです。
今日は、今週のお題になっていた「わたしの転機」について書いてみます。
ボクの転機
人生とは、予想外なことがたくさん起こるもので、その度に、感じたり考えたりしたことの積み重ねで自分というものができてくるのだと思います。
「転機」とは、この「予想外」のレベルがとても高くて、自分に与えた影響がとても大きかった「一つの出来事」ということなのでしょう。
ボクの場合、転機と言われて思いついたのは「母の死」でした。思い出したくないけど、やっぱりそうかなぁ。
突然の母の死
ちょうど8年前のできごとだ。
東京に出張して打ち合わせをしていた。ホワイトボードの前にたって、お客さんと今後の仕事の進め方を協議していたとき、携帯電話が鳴った。
母からの電話がこの時間に鳴るなんて明らかにおかしいので、「ちょっとすいません」と言いつつ出てみると、母の友人を名乗る見知らぬおじさんから「お母さんが、倒れはったんや」と伝えられた。
これはまずいと直感的に判断し、打ち合わせを中断させてもらって、新幹線に飛び乗った。
母は「くも膜下出血」というやつで、結局、病院でも意識を取り戻すことはなかった。
その前の週末に会ったときはピンピンしてたのに。
病院から実家に戻ったとき、キッチンには無造作にコロッケが2個置いてあった。透明パックに緑色の輪ゴムをかけたやつだ。
母は、今日と同じように明日も生きようとしていた。そんな母は、一瞬にしてこの世からいなくなってしまったのだ。
父との衝突
父は 団塊の世代より少し前の世代の、頑固なオヤジだった。
子育ては完全に母に任せ、仕事人間として突っ走ってきた人だ。なんでも家のことは母に任せていた。
そんな父とは、ほぼ、まともに会話したことはなかった。会話する気にならなかった。頭ごなしに否定されることが多かったから。なにかあるとまずは母を経由して相談するような感じだった。
母がいなくなってしまったことで、これから父とどう過ごしていけばいいのか。悲しみの奥深くで、そんな不安も引っかかっていた。
葬式のあとしばらくしてから、事件は起きた。
週末は実家で過ごし、寝る前には、仏壇で般若心経やその他いくつかのお経をみんなであげてから寝るというのがパターンになっていた。
しかし、その日は少し晩酌でゆっくりし過ぎていたので、子供たちの眠さは限界に達していた。
見かねたボクは、仏壇の前でお経CDを準備している父に「子供たち、もう眠そうだから、今日はちょっとショートバージョンで行かへん?」と気を遣いながらお伺いをたてた。
そしたら父は「お前は何が一番大事かわかってない。何考えてるんや」みたいなことを言って激怒した。
さすがにこのとき、ボクもキレた。
父との距離の縮まり
思えば、これが父と真正面から向き合うことを決意した瞬間だった。
いつも上から頭ごなしで接する父の態度を強く非難し、ちゃんと話さないと何も伝わらん。オヤジは会社で部下にそんな言い方をしてきたのか?子どもだからといって、雑な態度を取るのはおかしい。もうすこし対等に、お互いの気持ちを考えながら話をすべきなんじゃないか。もうお母さんはいないんだ!と、はっきり伝えた。
下手したら、父との関係は、ここで切れることになるかもしれなかった。昔気質の父は、「父と子が対等」なんてことが、受け入れられないだろうから。
しかし、これまでの距離感のまま、これから父とやっていくことはできない。だから、覚悟を決めて、これまで言えなかったことを思い切って伝えたのだ。
父もその程度の人ではなかった。その後、それなりに時間を必要としたが、理解を示し、歩み寄ってくれた。
父との会話が増えた。
父の知られざる人間性や苦労した話などを知ることもできた。
父が友だちや同僚を大事にしてきた思い。周囲の人たちに対しての配慮や気づかい。一生懸命に、仕事をしてきた姿。
父はこんなにも、尊敬できる人間だったんだとボクはやっと気づいた。
ボクに起こった1つ目の変化
なぜ、よりによってうちの母がこんな目に合わないといけないのかと、なかなか母の死を素直に受け入れられなかったが、時間が経って、振り返ってみると、そんな父との関係の変化も含めて、「母の死」はボクにとって大きな転機だったと思えるようになった。
どんな変化をもたらしたか。
まずは人間として少し柔らかくなったことだ。
それまでのボクは、理不尽なことが許せない人間だった。
権威をふりかざし、頭ごなしに言ってくる人に、ハイハイと大人の対応をするのが苦手で、ついつい反応してしまう性質だった。
だから、理不尽なことや権威あるおじさんだらけのこの世の中で、うまく立ち回れなかった。(缶コーヒーBOSSの宇宙人のような状態だった)
しかし、母の死をキッカケにした、このような出来事のなかで、世の中の理不尽や権威的なものへの反発心が薄れていき、色々なものを受け入れ、許せるようになっていったのだと思う。不器用ではあるが、周りのおじさんや理不尽なことに対して、柔らかく接することができるようになったのだ。
死というどうしようもないことを身近に感じたことや、励ましてくれる人たちの温かさへの感謝、そして何より、自分の父を尊敬できるようになったことが良い方向に影響したのだと思う。
2つめの変化:本当の意味での自立
もう一つは、いよいよ自立しないといけないと本気で感じたことだ。いつまでも親はいないという事実を、本当の意味でわかったのだ。
親と一緒に過ごす時間を大切にしたいと感じたのと同時に、最後は自分で生きていくしかないのだということを改めて痛感した。
親に止めておけと言われるから止めておこうとか、言っている場合じゃない。
自分の感覚を信じて、やりたいこと、やるべきだと思ったことは、たとえ、親の合意が得られなくてもやるしかない。そう覚悟した。いい歳をして、どこかに残っていた甘えた気持ちを、完全に断ち切ることができたのだと思う。
3つめの変化:命の大切さと三人目の子ども
これは別の記事でも書いたことだが、3人目の子どもを授かることができた。
母の死によって命が失われることの儚さに衝撃を受けた一方で、まだ今ならば、自分たちに命を生み出せる可能性があるということを改めて感じた。
そのことが、三人目の子どもが生まれることにつながったのだと思っている。詳しくは以下の記事をどうぞ。
おわりに
今回は、ボクの転機である「母の死」について振り返ったことを書きました。
三人目の子どもができて、しかも男の子だと知ったとき、ボクも本当にうれしかったけれど、父も本当に喜んだ。
今でも二人で飲んだとき、お母さんの生まれ変わりちゃうんかなと、オヤジは真面目に呟く。
そうかもしれないねと、ボクもうなづく。
母よ、ありがとう。
いろいろあるけれど、ボクらは生きてくよ。