いよいよ夏休みですね。。
夏休みの宿題の2大巨頭と言えば、読書感想文と自由研究。
読書感想文、ああ、なんか早く読める本で、適当に書いてしまおうってな感じになってませんか?うちの子はそんな感じです。
だけど、同じ夏はもう来ないんです。
甲子園球児でもないならば、いっそこの夏は、読書感想文に本気で取り組んでみるというのはどうですか?気持ちひとつで、熱い毎日を手にいれることはできます。
ということで、今日は、読書感想文を書くにあたっての心構えについて書きます。
なぜ、読書感想文を書くべきなのか?
だいたい、なんで読書感想文なんて書かないといけないの?
そんな問いに答えてくれる大人は、僕が子供の頃はいませんでした。考えたこともなかったけど。
だから、あえて、このなぜ読書感想文を書くべきなのか?先生はなんでこんな宿題を毎年毎年出すのか?について書きます。
それは、一言で言えば、「コミュニケーション能力を養うことができるから」です。
もう少し具体的に書くと、これからますます求められてくる、次のような能力や行動が、読書感想文を書くことに、ぎゅっと凝縮されているからです。
- 何かに出会ったときに、自分の体験や価値観と結びつけて、何かを感じる・気づく。こういうことが、この世の中に何かを生み出す起点になるかもしれません。
- その自分の感じたことや思いを、誰かに伝えて、いいなと思ってもらって、共感を得ること。それができなければ、どだい何かを実現していくことは難しいのです。
- たくさんの伝えたいことの中から、取捨選択をして、何を言って、何を言わないかを決めること。そういう決断力も、本当に大事なことを伝えるためには大切になってくるのです。
このような「気づく力」「伝える力」「決断する力」は、世の中に出て行ったときに、毎日を面白くするための力になります。
正解なんてない。自分の感じたことや思いを表現せよ。
学校の勉強には、たいてい、正解が用意されています。
しかし、読書感想文には、正解はありません。
読む人の数だけ、感性があり、その本をどう読んだかは、読んだ人が決めればいい。そこに、正しいも、間違っているもない。
自分の中で、ぐっときたこと。
これを、どれだけ見つけられるか。
その時の心の動きを、どれだけリアルに伝えられるか。
それが大事になります。
自分の感性をフル動員して、そのアンテナに獲物がひっかかったサインを見逃さず、それを鮮明に表現すればいいんです。
他人にサプライズを与えよ。
読書感想文は日記ではありません。
他人が読むことを前提に書くものですから、自分にしかわからないことだったら理解されないし、他人が読んだらどう感じるかなと想像する力が求められます。
自分の心に向き合いつつ、自分から幽体離脱して、自分が書いたことを他人目線で読んでみる力が必要になります。
いわゆる、主観と客観の往来が求められるわけです。
元コピーライターの糸井重里さんが、こんなこと言ってたなあ。
人間が面白いと感じるのは、「共感性」と「意外性」の要素を併せ持つこと。
「ああ、そうだよね。そうだよね。」という共感だけでなく、
「え、そうなの?!」
というサプライズをぶっこめるくらい、オリジナリティのある気づきや自分の考えを書いてみよう。
そうでもしないと、たくさんの感想文を読んでいる先生は、当たり前なこととか、それっぽいこととか書いていても、ふーん でおわってしまう。
だから、いっちょ、世の中、どんな反応をするか見てやろうというくらいの気持ちで、ちょっと攻めてみる。
もちろん、まずはそんなサプライジングな思いや考えが浮かばないと始まらないけどね。
おわりに
いやいや、今日は勝手なことを書いてしまいましたが、こうして考えてみると、つくづく、読書感想文は、これからの世の中で求められる力を鍛えるためのよい機会になるなと思います。
いよいよ夏休みを迎えるにあたって、そんなことを、うちの子供たちにも話してみてます。
読書感想文の書き方全般と2016年の課題図書については、以下の記事もご覧ください。