組織で働いていると、仲間とのチームワークが大切になります。
そして組織には、あまり働かないオジさんが必ず居ますから、そういう人ともうまくやることが求められます。
あまり働かないオジさんに対して、若い頃のボクが抱いていたのは、「何でこんな人が自分より高い給料もらっているんだ!」という怒りの気持ちでした。
そういう気持ちが頭にあるものだから、おそらく生意気な口のきき方もしていただろうと思います。
この怒りの感情は、ボクにとって一つの大きな壁でしたが、最近、間違いなくアラフォーの領域に入ってきたボクは、この第一の壁を乗り越えることができたという実感があります。
最近は、特に仕事をしないけれど、自分より給料の高いオジサンに、心を乱されることなく、期待もせずに、自分の仕事に集中することができるし、そんなオジサンに攻撃的になることもなく、「大変ですよねー」とか言って、話を合わせることもできるようになりました。
何がそうさせたのか。
世の中そんなものだという諦めの気持ちと、そういう人に心を乱された方が損をするということが理解できたからかもしれません。
しかし最近、こういうオジサンに対して、まだ許せない第2の壁があることに気づきました。
第2の壁とは、「助けてくれないのは許すとしても、邪魔をするのはやめてくれ」というものです。
こういうオジサンの行為に対して、腹が立ってしまうことが最近続いてしまったのです。
例えば、
交渉の場面で、こちらが時間をかけて粘りながら、あるポイントを追究していっているときに、「あまりここを追求しても意味ないんじゃないか?」などということを、相手のいる前で言われたことがありました。
これには本当にハラワタが煮えくり返りました。
ボクは、この交渉の準備に相当な時間をかけてきたのです。
一方、オジサンは大した準備もせずに、「お先に」と帰っていました。
そんなオジサンに、この場で思いついたことを言われても、何の役にも立たないばかりか、攻め手を失ってしまったのです。
ボクが思うに、この発言は、自分のチームの中で粘り負けが起こった事によるものだと思います。
自分のチームが一枚岩で攻めることができない以上、相手はそのポイントで譲ることはないので、その時点で負けとなります。
つまり、ともに戦う仲間として、自分たちが戦っている内容を否定するような発言を、相手の前ですることは絶対にいけないということです。
ボクとしても、もう少し、このオジサンと責めるポイントを共有しておくべきだったと思いました。
これは、今回のような仕事での組織間の交渉シーンでももちろんそうですし、子育てにおいて、子供を叱るシーンでも似たようなことがあります。
大人が子供を真剣に叱っている隣で、その叱っている内容を否定するようなことを言ってしまうと、子供がその内容を真剣に受け止めようとはしなくなりますよね。
これと同じことを、あまり考えずにやってしまうオジサンが存在してしまうのです。
もちろん、異なる視点からのアドバイスはあり得るでしょうから、そういう気づきがあれば、是非シェアして作戦を練り直せばよいのですが、それは相手がいない場で事前に行う必要があります。
この第2の壁を乗り越えられる日は来るのでしょうか。。