Voyage of Life

3人の子育てパパが日常と読書から学んだコト

試練が人を豊かにする。だから恐れなくていい。

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先日の記事(「子供に人生のおもしろさを伝えるということ」)に引き続き、40歳をテーマにした特集(雑誌AERA、糸井重里さんと宮沢りえさんとの対談「宮沢りえ×糸井重里『試練という栄養。』 - ほぼ日刊イトイ新聞」)から教えてもらった「試練が人を豊かにする」という話を今日は書きます。

 

試練をどうとらえるか

毎日を生きていると、

ある日、とんでもない出来事が

急に自分に降りかかってきたらどうしよう。

それ考えると、怖くなったりするとき、

ありますよね。

 

だけど、

試練がなんにもなかったり(そんなことはないが)、

苦難から避けてたら(避けれないが)、

強くなれないし、人間の深みというか、

そういうものが得られない。

 

先日の記事でも書いた、

「いろいろあるけど、生きてくって、おもろいよ」

ということが子供にも伝えられなくなってしまう。

 

宮沢りえさんは言う。

50歳になったときにおもしろい話ができるのは、

たくさんの試練を乗り越えてきた人だと。

そして、「試練はごほうび」だと。

 

また、糸井さんは、試練に対して、

「来るなら来い!」

という気持ちがあったという。

 

確かに、その方が試練に立ち向かえる気持ちになれる。

苦難は人生を豊かにする栄養みたいなものだから、

避ける話でもないのだと、あきらめがついて、

ぐっとふんばれる。

 

ラグビーに例えれば、ボールを持って走っているとき、

タックルも来るだろうなと予想している状態。

 

案の定タックルを受けて倒されるけれど、

覚悟していれば、

大怪我しないし、

倒れながらも1歩でも前に這って進める。

 ラグビーしたことないけど、そんなイメージかな。

 

確かに「来るなら来い!」と思うだけで、

体の中の何かがシャンとして、

すこし強くなれる気がする。

 

試練を栄養に変えるために

ただ、栄養に変えるためには、

まずはその試練にやっぱり打ちのめされて、

這い上がる必要があり、

這い上がるには、一人で考える時間が大切なんだという。

どんなに他人から励まされても意味がない。

 

これも納得。

うわーっと打ちのめされて、

一人で考えて、考えて、

なんらかの理由や意味を見出して、

浮き足立った気持ちから

地面に足を伸ばして着地し、

また、立ち上がる。

 

そういうプロセスによって、

苦難が消化され、吸収され、栄養に変わるのだ。

 

厄年ってなんなんだ

男にとっては40は厄年というけど

なんなんでしょうね。

糸井さんは、別の記事だったと思いますが、

それまでの色々なツケが一気にやってくるんだみたいなことを

言ってます。

 

何をやっても許された歳から、

許されない歳になってく。

そんな変化の節目になるのかもしれない。

 

体力が落ちて、病気の心配も出てきたり、

親の健康や子どもの教育などで心配ゴトも出てきて、

なんだか、「避けられない苦難」というのが

すぐそこに迫っている感じだ。

 だけどね。

「試練よ、来るなら来い」の気持ちがあれば、

少しだけ強くなれる気、しませんか。

 

まとめ

試練や苦難に対して、「来るなら来い!」と思える覚悟。

一人で考えて這い上がる強さ。

それを支えてくれるのは

「生きてくのはやはりオモシロイ」という希望なのかもしれません。

 

それにしても、

宮沢りえさんが母の死をポジティブに乗り越えて

前向きに捉えなおしている姿がすごいなと思った。

よほど、客観的に自分をとらえて、普段からいろいろ考えていて、

生きている人なんだなと思った。