なにやら娘たちがチョコ作りに励んで、今日はたくさんのチョコをもらってきた。
ちょっといい男子にあげるチョコはもちろんだが、最近は「友チョコ」という、女子の間でチョコを交換する習慣がすっかり根付いてきているようだ。
もらってきた友チョコは、かなり可愛くて、いい仕上がりだ。
しかし「友チョコ」なんてやめたらいいのにと思ってしまう。
僕がそう思う理由を挙げてみますが、結構いい習慣だよという話があったら教えてくださいね。
親が大変
なぜか友チョコは手作りというのがベースらしい。
男子にあげるチョコとは違って、買ってきたチョコを渡すだけというのは許されないらしい。
そして子供たちが完全に自分で作るというなら、そりゃ好きにしたらいいんだけれど、それは無理な話だ。
どんなチョコを作るかというコンセプト作りから、買い物、チョコ作りから梱包まで、母親のサポートがかなり必要になる。
そして、次の通り、数が多いので、もう作業として大変だーという感じになる。
昨夜も、溶かしたチョコが全然固まらないーといって、暖房をきったけれど固まらないので、無理やり冷蔵庫に入れたりしてたし。
数が多い
お気に入りの男子は1人か2人だろうけれど、友達となると10人、20人となってしまう。あの子にあげたからこの子にもあげないとな、とか言っていると膨大な数になってしまうのだ。それを準備するのはお金と時間をとても浪費している。
男子へのチョコの比ではないのだ。
これはチョコ屋の戦略としかいいようがないが、友チョコを根付かせることで、10倍以上のチョコが生み出されているのかもしれない。
もらっていないことによるマイナスの感情
男子としては、チョコもらえなくても、まあそんなもんだよなと諦めもつくし、後腐れないけれど、女子と女子はそうもいかない(たぶん)。
なんで私はあの子からもらってないのとかいう負の感情のトータル量(世の中全体)が、もらった喜びのトータル量を上回らないだろうかと心配になる。
あなたは大切な友達だよというのは、そんなにはっきり白黒つけなくていい。
友としての距離が近くなるときもあるし、距離が離れるときもある。
そういう曖昧なものでいい。
それなのに、目に見える形で、大切な友達かそうでないかをはっきりさせるなんて、いいことなんてないと思うよ。
大切な友達だということは、何も言わなくてもお互いジーンと感じあえるものなんだからさ。
まさに、年賀状に近い感じなんだと思うが、年賀状と違って、手渡しで交換とかが多くなるだろうから、学校などで交換するシーンを目の当たりにしたら、もらった、もらってないということが結構気になるだろうな。
おわりに
このだんだんエスカレートしている「友チョコ」的な風習。
チョコをあげる人がいる限り、義理と相まって、収まらないだろう。
イベントとして楽しめるくらいならいいんだけれど、大人の割り切りとかを持ち合わせていないわりに子供は残酷なところもあるし、準備の負担も大きいから、もうやめたらと思う。
手紙のやり取りくらいでいいんじゃない?と思っちゃうけれど、ダメのかなあ。
女子の気持ちはわからん。。
(今週のお題「バレンタインデー」)