400年ほど前に中国の学者・洪自誠が処世訓をまとめた「菜根譚」という本があります。
この本を座右の書として挙げる日本の経営者や政治家がわりと多かったのを覚えていて、今回本屋さんで、ああこれかぁと手にとって読んでみました。
「菜根譚」は心のサプリだわ
3時間くらいで読んでしまったのですが、読んだあと、心の透明度が高くなり、すっきり落ち着いた気持ちになれました。
ああ、これでいいんだなという感じ。
一貫性はともかく、いろんな切り口でバランス良く、これでいいんだよ、こう生きていくべきだよという話が書かれているので、そのうちのいくつかが自分の背中を押してくれたり、変なところにこだわる必要がないことを教えてくれるのです。
ときどきココロがザワザワしてきたら、この本を「心を楽にするサプリ」として服用したいと思います。
今日は、その中から一つ紹介します。
本当に立派な人とは?
本当に立派な人が守っている3つのことについてです。
本当に立派な人物とはどのような人物か。
- 小さなことにも手を抜かない。
- 人が見ていようがいまいが、悪いことをしない。
- 失意のどん底でも決して投げやりにはならない。
この3つが守れる人のことだ。 (前集114)
シンプルだけに、グッときます。特に、3つ目。
「失意のどん底でも投げやりにならない」ためには、まだまだ人間としての底力を上げていかないといけないと感じます。
一応、これまでもそれなりに大きく傷ついて、思うようにならなくて、どうすればいいんだと、自分のちっぽけなプライドと自分の本当の願いを天秤にかけながら、前に進んできた経験はありますよ。
だけど、今思えば、それもまあ大した話ではなかったのかもしれません。
後で思えば、それもまあ大した話ではなくなるのかもしれません。
この先待っている失意のどん底にビビってる?
この先、人生の中ではもっと大変なことが起こるのでしょう。
偉大な先人の後ろ姿。
そこに自分を重ねると、このハードルの高さが身にしみます。
例えば、親父の話。
ある日突然倒れた母親がそのまま他界したとき、父は失意のどん底にいたと思う。
だけどしっかりと前を向いて葬儀をしきってた。
今では自分で家事もやって、しっかりと前向きに生きている。
母の死はボクにとっても、どん底にほぼ近かったけど、やっぱり、ずっと一緒に暮らしていた嫁さんが急にいなくなるということは想像の域を超えている。
自分の嫁さんに、もしそんなことがあったら、ボクは投げやりにならずにシャンとしていられるだろうか。
そして、友の話。
ある日突然重病を告げられた友。
だけど失意に負けずに、前向きに日本中の医者を探しまくり、名医に出会い、治療の道を見出し、強靭な精神力で回復に向かっている。
自分の身体にそんな病があることがわかったら、ボクは投げやりにならずに前向きに医者を探したり、回復への気力を維持していけるのだろうか。
だけど、大丈夫かも
ありがたいことに、その友が教えてくれた。
家族や友の支えがめちゃくちゃ大きいということを。
子供の将来が楽しみだから、ここで負けるわけにはいかないという気持ちを。
そうなんだよな。
母を失ったときのオヤジも、葬儀の手伝いにきた仲間たちに支えられていた。
そして多分、子供であるボクの存在もちょっとは力になったのかもしれない。
そう信じたい。
ボクは弱くて、そんな状況でひとりでは、立っていることさえできないかもしれない。
だけど、トモダチや嫁さん、子供たちがいてくれる。
だから、もしかしたら、失意のどん底にあっても、投げやりにならずにやれるかもしれない。
そう思えてきた。
BGMはこちら。
ちなみに、試練を栄養に変えるためには、これも必要という話はこちらです。
菜根譚の本はいろいろ出てるけど、これを読みました。