こんばんは。
ULTRA JAPAN、STAR ISLANDなど、日本を代表するマルチクリエイターと言われる小橋賢児さんが、これまでの人生を赤裸々に振り返った本「セカンドID」を読んで感じたことを、読書ノートにまとめます。
情報社会のなかでぼくらが失っていること
今の情報社会はある意味、酷なのかもしれない。
子供たちは、著名なアスリートやアーティスト、技術者や教育者などの映像や言葉に触れる機会が多く、明確な夢を持つことが容易である。
ボクらの時代は、月刊のサッカーダイジェストや4年に1回のW杯サッカーで、有名なサッカープレーヤーの写真や映像に胸を熱くしていた。
今の子供たちは、YOU TUBEやDAZNやJリーグやなんやらで、すごいプレーの映像をいつでも見ることができる。
明確な夢があることで、それに向かって猪突猛進できるのかもしれない。
しかし、勉強する教材やお手本もあふれていて、みんなのレベルも上がっているから、これまでに求められていたクオリティでは人より抜きん出ることが難しくなっている。
こうなるにはこれが大切とか、何歳までにこうしておかないといけないとか、先人たちの経験や科学や未来に関する情報があふれているだけに、未来からの逆算をしがちになる。そうなると、「have to」という、いつまでにあれやこれやを、やらなければならないという意識に支配されがちになる。
そして、いろいろなものが見えてしまっているだけに、逆に見えないことに向かってチャレンジすることが難しくなる。
未来への意識が高くなり、未来のイメージが強くなりすぎるのだ。
今起こったことと感じたことをもっと味わおう
筆者がインドで瞑想のトレーニングをしたり、インドの違和感だらけの日常を送るなかで、気づいたのは、最悪だと思うような出来事も、一歩引いてみると、意味があるということだ。
その出来事があったからこそ、見えた景色、出会えた感情がある。
すべてのものになんらかの意味があるのだ。
その意味は、今というこの瞬間に、ここというこの空間、自分というこの世界に、高い意識を向けることで初めて見えてくるものなのかもしれない。
まとめ
情報があふれている今の暮らしのなかでは、未来や世界に意識がいきがちになる。
そうした中で、夢を描くことは比較的容易なのかもしれない。
しかし、最初に決めた夢や目的地にとらわれることがよいとは限らない。
その途中の道のりで、起きてくる予想外な出来事を受け入れながら、
自分の内なる感情と向き合いながら、
何かやりたいという湧き上がってきた気持ちを大事にしながら、
行動し、一歩一歩生きていく。
そうすれば、素晴らしい景色をみることができるかもしれない。
人生とは旅のようなものなのだ。