その幼稚園児はズルを許せなかった
「あいつ、ズルしてるねん。」
うちの3番目の子が通っている幼稚園児向けサッカースクールの練習で、子どもの一人が声を大きくしてコーチに告げ口した。
「ズルすんなやぁ」
と、その子本人にも言った。
コーチは笑いながらも強く言った。
「ええやん。」
「自分が上手くなるためにやってるんやろっ。」
コーチはさすがである。
スクールの中にはうちの子みたいに、まだどうしていいかわからないからうまくできない子もいて、それをズルしてると言われたら凹むし、もうこのスクールには行きたくないといいかねない。
そんな経験もトレーニングだと捉えて、負けずに強くなって欲しいという気持ちもあるが、まだ慣れないし、サッカーが好きでたまらないという状態にもなってない最初のうちはそっとしておいてくれ。うちの子にはまだ言わないでくれ。
そう思った矢先に、コーチはみんなに聞こえるようにこの返事をしたのだった。
「自分が上手くなるためにやってるんやろっ」
そのときふと、会社のおじさんのことが思い浮かんだ。たいして働かないけど、ボクより給料もらってるだろうおじさんたちのことを。
ズルしてるおじさんも許せない?
会社でもほとんど働かないおじさんは存在する。
さすがにこの歳になると、まあそんな人もいることや、そんな人にも普通に給料が支払われること、むしろ厚遇であることの理不尽には、反応しなくなった。
しかし、ときどきかな。
とてつもなく忙しい時に、そんなオジサンがあっさり帰っていく姿を見てしまうとその子のように「ズルすんなや」の気持ちが湧いてくる。
なんのためにやってるの?
だけど、だいたいなんのために仕事してるのかということなんだと思う。
そりゃまあ幸せになるためだ。
幸せとどう結びついてるのか、もう少し具体的にいうと、次の3つくらい思いつく。
1. 生活していく糧を得る→幸せ
2. 誰かのために役に立つ喜びを得る→幸せ
3. 成長していく喜びを得る→幸せ
1の「糧を得る」ためだけなら、組織で仕事して効率上げて勝ちたいわけだから、役割を果たせよ。価値を生み出せよ。せめて汗をかこうよと思う気持ちが前面に出てくる。
でも、それだけじゃない。
お金に困らないならこの仕事辞めるのか?
今日が最後の日だったとしても、それをしたいと思わないなら、今すぐやめたほうがいいよ。くらいのことをスティーブ・ジョブズが言ってる。とにかく好きな仕事を見つけろと言ってる。
確かにいいことばかりなわけはないし、理不尽も度を超す瞬間があるから、やめたくなる時はある。
でも、まだもう少しは辞めないだろう。グッとくる瞬間をもう少しここで味わいたいし、味わえるはずという気持ちがあるから。
2や3という、結局、自分が喜びを得るためにやってる一面がある。その時点で負けなのだ。
惚れたら負けよ。なのだ。
俺がこんなに愛してるのに、なんでお前はたいして応えてくれないんだ!と怒っても、愛したいから愛してるんでしょ。と言われておしまいなのだ。
じゃ、違うところで働くわ。という選択はあり得るから、良い人材を手放さないために組織は全力で応え、理不尽をなくしていかなければならないのは明白なのだが、そこまで良い人材の確保に躍起になっている企業はまだまだ少ないのである。
ズルしてる人のことで自分のエネルギーを1calも使うな
目の前に一生懸命にやろうと思える仕事があるならば、サボってるおじさんなんて、ほっとけということだ。
確かに、会社で働くということは、ボランティア団体でも、カルチャーセンターでもない。
しかし、サボってる人に対して「サボんなや」と言いたくなったら、そのエネルギーがもったいない。
そんな時は、あのコーチの言葉を思い出そう。
「ええやん」
「自分のためにやってるんやろっ」