Voyage of Life

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堀江貴文氏が語る「刑務所に入って唯一変わったこと」

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■ 堀江貴文氏の新著が出るらしい。

 
堀江貴文氏の出所後初の描き下ろしとなる新著『ゼロ――なにもない自分に小さなイチを足していく』が11月5日(火)に発売されるらしい。
 
そのイントロの部分が、cakesにて先行で紹介されていたので読んでみた。
 

■ 堀江貴文氏は自分にとって憧れの存在である。

 
彼の著書やメールマガジンなどを読んでいると、彼のシンプルな考え方、発想力、チャレンジ精神、時折見せる熱い気持ちなどに触れることができる。
 
真理に対して、一直線で迫っていく彼の言動は、僕は好きだ。
 
憧れの存在でもある。
 

■ その彼が刑務所に入って唯一変わったことを語った。

 
この本では、その彼が、ものすごく肩の力を抜いて、独房の中での寂しさとか、普段見せない一面を赤裸々に語っているようだが、導入部にあたる第0章で、僕にとって、目から鱗が落ちるようなことが書かれていました。
 

 

刑務所に入って、唯一変わったことについて、彼は次のように語っている。

ひとつだけ変わったところを挙げるなら、コミュニケーションに対する考え方だろう。


 かつての僕は、世の中にはびこる不合理なものを嫌う、徹底した合理主義者だった。そして物事をマクロ的に考え、「システム」を変えれば国が変わると思ってきた。

・・・
 きっとそのせいだろう、僕はひたすら「ファクト(事実)」だけにこだわってきた。


 言葉で説明するよりも、目に見える結果を残すこと。余計な御託は抜きにして、数値化可能な事実を指し示すこと。あいまいな感情の言葉より、端的な論理の言葉で語ること。それこそが、あるべきコミュニケーションの形だと信じ切っていた。


 しかし、理詰めの言葉だけでは納得してもらえないし、あらぬ誤解を生んでしまう。ときには誰かを傷つけることだってある。

僕の考えを理解してもらうためには、まず「堀江貴文という人間」を理解し、受け入れてもらわなければならない。言葉を尽くして丁寧に説明しなければならない。
 逮捕される以前の僕は、そのあたりの認識が完全に抜け落ちていた。
 メディアを通じて多くの誤解を生んできたし、それを「誤解するほうが悪い」とばかりに放置してきた。数字を残し、結果を出しさえすれば理解してもらえると思っていたのだ。これは最大の反省点である。

 
この「徹底した合理主義者」で言葉足らずなので誤解されやすい、というところは、実は、僕自身にも思い当たる節があった。
 
だからこそ、ものすごく堀江氏の言動に共感してきた。
僕にとっては、お手本のようなコミュニケーションだったのだ。
 
しかし、僕自身も、世の中や組織でうまくやっていくことの難しさを感じていた。
 
・結果は出しているのに、認めてもらえない。
・まともなことを言っているのに、取り上げてもらえない。
・物事をはっきり言うので、煙たがられることもある。
 
こういうことになってしまうのは、自分が物事を、結構ハッキリ言ってしまうせいであろう。だからと言って、回りくどい馴れ合いの世界だけでは、組織が弱くなってしまう。馴れ合いの世界は好きではない。だから、こういう人間も必要なんだ。自分の特性を考えると、そういうキャラで行くしかないだろう。
 
という風に、自分を納得させていた。
 
しかしこの記事を読んで、僕の反省すべきところが完全に見えた。

■ 合理主義には限界がある。

合理主義こそが、わずらわしい馴れ合いの会話を嫌い、回り道を嫌い、一直線にゴールに向かうために、理詰めで話をしてしまう原因だった(仕事では特に)。

 
しかし、自分の考えを理解してもらうためには、まず人間として受け入れてもらう必要があったのだ。
回り道になったとしても、相手に共感したりしながら、言葉をつくして丁寧に説明することから始めなければならなかったのだ。
 
堀江さんの言っているレベルは、おそらくものすごく深いのだろうが、僕もヒントをもらえた。(僕の場合、彼ほど徹底しておらず中途半端で、比べるのもおこがましいのだが、、
 
馴れ合いのように思えた回りくどいやりとり。
しかし、やっぱりそれは必要なのであるということを、心が理解したという感じだ。
 
いやー。今日は、この堀江さんの言葉に出会えて、本当によかった。
ありがとうございます。
 
本当に、恥ずかしながら、今更ですが、これからは、もっともっと自分をさらけ出して、回り道もしながら、言葉を尽くしていきたいと思う。
 
いじょうでーす。