Voyage of Life

3人の子育てパパが日常と読書から学んだコト

伊方原発運転停止の仮処分ニュースに感じる疑問

昨日、広島高裁により愛媛県の伊方原発運転停止の仮処分が出されたというニュースがありましたよね。

ボクはこのNHKニュースを読んだのですが、え、そうなの?と疑問を感じるところがいくつかあったので、珍しく時事ネタですが、書いてみたいと思います。

www3.nhk.or.jp

 

ちなみに、最初に言っておきますと、ボクは原発容認派でも反対派でもなく、使えるものは使いながら、今の原発よりもより良い発電システムを開発していけばよいという、したたか派です。

以下の引用部はこのNHKニュースから抜粋したものです。

 

影響が出る可能性がどれだけ小さければよいのか?

「熊本県の阿蘇山で、巨大噴火が起きて原発に影響が出る可能性が小さいとは言えず、新しい規制基準に適合するとした原子力規制委員会の判断は、不合理だ」と指摘し、運転の停止を命じる仮処分の決定をしました。

「影響が出る可能性が小さい」というのはどういうレベルを言うんだろう。

何事も可能性がゼロなんてことはない。 

明日、交通事故で死んでしまう可能性なんて、ものすごく大きいけれど、それでもボクらは、駅に向かい、会社へいくのだ。

リスクというものは、「生じる可能性」と「生じたときの影響の大きさ」を掛け合わせたような概念だ。

仮に影響が出る可能性があったとしても、その影響を小さく止める手立てがあればよいのだろうが、このニュースの言葉を見る限り、そこには触れずに仮処分を決定したのだろうか。あるいは、そもそも影響が出る可能性が小さいから合格となってたのだろうか。

可能性が小さい、大きいの議論をしている限り、人間の感覚論の世界を抜けきらない。

だから、原子力規制委員会でたくさんの時間とお金をかけて、専門的な議論が延々と行われてきて、ようやく再稼働というニュースが踊ったかと思えば、裁判官という一人の判断(一人じゃないんですかね?)によって、コロリと結論が変わってしまう。

これは、国として、大きな無駄なんじゃないだろか。。

それが変にブレていかないためのシステムとして健全だというのかもしれないが、ちょっと振れ幅大きすぎないか・・。

何かあったときに、いきなり大きな被害が生じるということを避けられるのかをもっと議論すべきであり、それが福島第一原発の津波から学んだ教訓なのだと思う。

リスクを定量化して判断しない限り、こんなやりとりは延々続くんじゃないかな。

そもそも、原子力規制委員会の議論が長いのも、明確な合格ラインというものがなくて、個人の裁量や感情論で議論しているからなんじゃないかと思う。

合格ラインが明確ではない中では特に、裁判官を含め、こういう専門的な技術を判定するための力量や人間力は、ものすごく高度なものが求められると思うが、せめて、その辺の管理をきっちりやって、しかるべき人間に判定してもらわないと、つまり、組織のガバナンスってものを利かさないと、この国はボロボロになっちゃうんじゃないかなって思う。

何もしないことが一番リスクが低いのだから、人間は普通にしていると、何も動かさない、動くことを否定するという方向に行っちゃうと思う。個人に判断が委ねられるって、その立場からいくと、相当厳しいことだから、明確な合格ラインがないなかで判断を求められるってのは、本当にきついと思う。

 

判断が不合理と言われた原子力規制員会には影響なし

「私たちは状況にかかわらず、科学的、技術的な知見、理解を基に判断していくだけで、審査への影響はない」と述べました。

そして、それだけ時間をかけて審査して出した判断を不合理として全否定された原子力規制委員会は、当事者ではないから知らないといい、審査への影響もないという。

線引きがあるんでしょう。

独立していることが大事なのかもしれない。

でも、変だよね。全否定されているのに。 

せめて、我々はこう判断したということの説明くらいあってもいい。

全否定されたら、さすがに何か言い返そうよ。

 

被爆者による被爆の歴史を止めるための一歩というけど

「被爆者を中心に立ち上がり、被爆地の裁判所で訴えが認められたことは、72年前に始まった被爆の歴史を止めるための重要な一歩だと受け止めている」

被爆といっても、さすがに原発と原爆は違う。

原発はむしろ、戦争をなくすためのものじゃないのか。

日本がタンカーを沈められ、エネルギーを失い、暴走せざるを得なかった話は、「海賊とよばれた男」にも出てくるが、そういうことのないように、自立したエネルギーを確保して、平和につなげようというのが、原子力の原点なんだと聞いたことがある。

 包丁で刺されたことのある人が、刺身を包丁で裁くのは危険だとして立ち上がったというふうに例えたら、やりすぎなのかもしれないが、それくらいの話に聞こえる。

 

費用対効果のはなし 

仮処分の決定で運転できない期間が続くと、1か月でおよそ35億円の損失が出るということです。

 まあ、とにかく止めた方が安全だ。

それはそうだが、1ヶ月で35億円の損失が出るらしい。燃料費は相当なようだ。

四国電に想定外の衝撃=燃料費年420億円増-伊方原発の運転中止:時事ドットコム

それは、関西電力もそうであったように、電気代増額により賄われるだろう。

ボクらが支払う電気代が、石油や天然ガスを購入するために、海外に出て行ってしまう。これを続けていたら、日本経済には、ボディブローのように効いてきて、子どもたちが大人になったころには、どんな影響が出るだろうか。

そして、その損益の差の分だけの開発費用をかけて、新しいエネルギーシステムを開発していけば、もっと何かよいものが生み出せそうだよと思う。

火力でまかなうならば、排出されるガスの影響もあるだろう。温暖化の話は長期的で見えにくいが、被爆のリスクだけを語って判断していて良いのだろうか。

なんだか、この国の未来に不安いっぱいになったニュースでした。

 

まとめ

珍しく時事ネタでした。

今回、つれづれなるままに書いちゃったので、最後に言いたかったことをまとめておきます。

・可能性だけでなく、影響の大きさも含めたリスクで考えようよ。

・大きい小さいの感情論はやめ、定量論をめざそうよ。

・大きな判断する人の力量を管理して、できるだけ組織の判断にしようよ。

・全否定された人は何か言い返そうよ。

・原発と原爆はやっぱり違うよ。

・長い目での費用対効果も考えるべきだよ。