堀江貴文氏の「ゼロ」を読んで、特にグッときた話を今日は書きます。
考えを理解してもらうためには、まず「堀江貴文という人間」を理解し、受け入れてもらわなければならない。
堀江貴文さんは、そのときのことを忘れさせるくらい、大活躍されてますが、刑務所に入って唯一変わったのは、コミュニケーションのあり方への認識だという。
余計な美辞麗句や非効率な会話などは最小限にして、事実をベースにした合理的な会話。
堀江氏は、特にそのキレル頭を活かして、ズバズバ真実に切り込んで行くコミュニケーションを取ってきたのかもしれない。
そのスタイルを僕は恰好いいと思っていた。
しかし、それでは 理解してもらえないし、世の中が変わっていかないのだという実感や反省が、本書では赤裸々に語られていたのだ。
やりたいことがあるのに、最初からできっこないと、あきらめていないか。
やりたいことがないのです。と言っている若者に対して、堀江氏は、それは嘘だという。
確かにそうだ。
いつの間にか、
自分にできそうなことのなかで、やりたいことはあるか?という問いになっているのかもしれない。
できそうなことという枠を外して考える必要がある。
信用を得るための方法
お金がなくなっても、信用さえあれば、またゼロから始められる。
信用こそ大切な財産である。
では、信用はどうすれば蓄えられるか。
堀江氏は、まず自分を信じることから始まるという。 自分を信じて、なんとかやれるさと、やってみる。引き受ける。
それを全力でやり遂げる。
この繰り返ししかないのだ。
万人に信用されることはないと言い切っているところが、また歯切れがいい。
信用してもらえる人を増やすには、分母を増やせば良いのだ。
自由と責任はセット
責任を自分で背負うからこそ自由でいられる。
会社員は、責任を個人で追わないように働くから自由にはやれない。
しかし、その中でも、自分で考えて、提案して、能動的に動いて行くことで、少しばかりの自由を手にすることができる。
そのときは、もちろん、責任もワンセットだが、所詮、対した責任ではないのかもしれない。
だから、思い切って動いていけばいいと思ったよ。
仲間を信じること
人の気持ちなんて、わかるわけないでしょ!!
わかるわけないからこそ、僕は信じる。
この言葉に、はっとした。 確かに「わかるもの」をどうするかは、思考すればよい。
「わからないもの」をどうするか という時に、信じるかどうかが試されるのだ。
おわりに
ということで、やはり今回の書は、堀江氏が、自分を理解してもらうことが大切なのだという気づきに基づき、自分の過去や気持ちを赤裸々に語っているところがとても新鮮だった。
何かを伝えたいなら、まず輪の中に入れという話なのだが、そのためには、一緒に汗かいたり、しないといけないと思う。