週末に本屋さんを通ったとき、小説「君の膵臓をたべたい」が、相変わらず文庫本ランキング1位として並べられてました。映画化もされるようです。
ということで、今日はこの小説を読んで心に残った言葉を2つほど紹介します。
その前に、まずは注意点から書きます。
この本を読むときの注意点
この本を読むときは注意が必要です。
特にぼくは最近、小説にはもっぱらオーディオブックを利用しており、febeなどのサイトから購入したオーディオブックをスマホにダウンロードして聞いたのですが、絶対に注意して欲しいことがあります。
それは、ラストシーンに向かって話がグッと加速していくところから先は、電車とか公共の場で読まない/聴かないようにして欲しいということです。
なぜか。
号泣して涙が止まらなくなるからです。
たぶん、電車だったら困った状況になったと思います。
なにを、42歳のお父さんが高校生の想いに共感してるんだ。気持ち悪いっ。
と言われるかもしれませんが、正直まあ泣きました。これは泣いた。
住野よるさんの、情景を事細かに描写していくタッチがすごくて、それがぼくのボディにジャブとして効いてきていて、最終的には足がガクガクになってたんだと思います。
心うたれた2つのフレーズ
余命わずかを宣告されつつも、明るく毎日を生きようとする高校生の女の子「さくら」。他人と距離を保ちながら大好きな本の世界と自分の世界で生きてきた「はるき」は、不器用で、「さくら」の境遇に対して距離をおけたからこそ、彼女に「日常」を運ぶ貴重な存在になれたのだと思います。
そんな二人の会話の中から、心に残った2つのフレーズを紹介します。
生きるということの意味
生きるっていうのはね、きっと、だれかとこころを通わせること、そのものを指して、生きるっていうんだよ
生きる意味みたいなことを考えたとき、何を残せるか、何を成し遂げられるかと、未来のことを考えてしまいがちになります。
自分には未来がないことを知っている彼女は、生きることの意味は、今だれかと心を通わせることそのものだと言います。
今何ができるか?というところを強く意識せざるを得ない彼女の結論な訳ですが、人は誰しも何があるかわからないわけで、明日生きているとは限らないわけですから、このことは誰にとっても大切な生きる意味になります。
今だれかと心を通わせることそのものが生きるってことだ
そう考えたとき、ぼくはこれまでよりもっと、
今を大事にして
目の前の人を大事にして
生きていけそうな気がしました。
この言葉については、以下の記事にも書いています。
生きるとは誰かと心を通わせること/「君の膵臓をたべたい」 - 1分★読書
伝えたいことを伝えるということ
もしかしたら、わたしに何かを伝えたいと思ってた人もいるかもしれない。 もしそうだったら、わたし以外の人には、伝えたいことを全て伝えるようにしてください。好きだとかきらいだとか、そういうすべてを伝えるようにしてほしい。じゃないと、わたしみたいにいつの間にか死んじゃうかもしれないよ。
さくらの遺書の一節です。
心で思っているけれど、まあ口に出すほどではないかなと思い、伝えてないことってありますよね。
こころで思っていることが大切であり、それが事実なんだからそれでいい。逆に言葉にしてしまうと、なんか軽くなってしまう。
たぶん、主人公の「はるき」も、どちらかというと、こういう考え方をするタイプであって、あとは、めんどうだったり、自分が傷つくことを恐れて、わざわざ相手に伝えることはしてこなかったのではないだろうか。
その辺がすごくわかるだけに、「さくら」のこの言葉がぼくにはグサリと刺さりました。
やっぱり大切な人には、思っていることをちゃんと伝えたい。伝えないと後悔するのだろうなということを思いました。
この言葉については、以下の記事にも書いています。
伝えたいことはちゃんと伝えよう/「君の膵臓をたべたい」 - 1分★読書
君の膵臓をたべたいの映画化
本屋さんで、この小説がこの夏に映画化されるということを知りました。
モニターに繰り返し映し出されたプロモーションビデオ(PV)を見ると、なかなかのキャスティングですね。小栗旬とか。
そしてこのPVだけで、涙が出そうでやばかったです。
大人になったあとに、あの高校生のころを振り返るというような切り口が、小説から新たに加わっているみたいでした。
テーマソングがMr.Children。これまたやばい。
ぼくはきっと、映画館では見れないと思います。