前回の記事のとおり、新しいパソコンをどうしようかと考え始めているわけだが、新生VAIOが気にならないといえばウソになる。(SONY製VAIOの次のパソコンは何を購入しようか?)
新生VAIOの新しい動きを見ていると、生まれ変わろうとしているVAIOの必死さがひしひしと伝わってくる。
そして、あれほどまでに一時代を築き上げた大企業SONYがなぜ衰退したのかに対する反省が込められている。
SONYの衰退は日本の大企業にとっては決して他人事ではない。
むしろ、製品のライフサイクルの短い、ドッグイヤーな業界だけに、問題がはやく露出しただけなのかもしれない。
本書は、新生VAIOのメッセージをざっとチェックしたうえで、そこからSONYなどの「大企業が衰退しやすい6つの理由」を抽出し、まとめたものである。
☑ 新生vaio株式会社のメッセージ
パソコンVAIOを専門に扱うVAIO株式会社関取社長の会見やプロトタイプ機の発表など、新生vaio(VAIO | 企業情報)の露出が少しずつ増えてきており、そのなかには「ああVAIOだな」と心を打つようなキーワードがやはりあった。
VAIO社長 関取高行 -背水の陣で挑む“新生VAIO”の防人 - エキサイトニュース
【笠原一輝のユビキタス情報局】VAIO Z再来? ついにVAIO新タブレットが公開! 〜12.3型2,560×1,704ドットの高解像度液晶採用 - PC Watch
■ 「本質+α」
本質を追求します。
日本・安曇野の技術と精神を土台に、本当に必要な性能と機能を持った製品をつくります。
制約に縛られません。
小さなPCメーカーだからこそ、「しがらみ」や「思い込み」には左右されません。
VAIOのDNAを継承します。
人の気持ちに突き刺さる一点突破の発想、VAIOならではの審美眼に根ざしたものづくりを大切にします。
■ 「安曇野FINISH」
本社を置いた安曇野工場で、一台一台専任スタッフがパソコンを仕上げて、品質チェックを行う というやり方を「安曇野FINISH」と呼んでいる。
■ 「自由だ。変えよう。」(新聞広告より)
そして、新生VAIOがスタートした2014/7/1の新聞広告に、VAIOの思いが込められているメッセージがある。
可能性は無限。野心と技術をもって、ピュアでひたむきなチャレンジャーとして、自由に思い切った決断をし、未来に必要なものに集中する。固定観念を変える。というものだ。
VAIOは、VAIO株式会社へ。VAIOはもう終わった、という人がいる。
単なる事業整理だ、という人がいる。
たしかに、メンバーはたったの240人。
大きな集団は、小さなPCメーカーになった。
しかし。いや、だからこそ。我々の目の前には今、無限の地平が広がっている。
ここには、かつてVAIOの遺伝子だったものがある。
ここには、野心と技術と、確かな熱量が息づいている。
我々は、ピュアでひたむきなチャレンジャーだ。
あらゆるものから自由になった今こそ、思い切った決断ができる。
VAIOの未来に必要なものを見きわめること。
そこにすべての力を集中し、PCにはびこる固定観念を変えること。
このチームなら、それができる。きっと。
自由だ。変えよう。
☑ 大企業が衰退しやすい理由
これらの新生VAIOの決死のメッセージを裏返すことにより、SONYが衰退した理由、すなわち、大企業が衰退しやすい理由を考えてみた。
1.本質を追求できなくなった。
本質を把握し、そこに資源を集中するというのが、戦略の鉄則である。
(会社を面白くするには戦略思考で提案していくしかない〜大前研一氏「企業参謀ノート」より)
彼らの言う本質とは、本当に必要な性能や機能とは何か?とは、すなわち、本当に人は何を求めているか?ということであろう。
他社のスペックがこうであるから、これを上回るものでなければ許されない。とか、そういう外野からの変な圧力が総花的な家電製品のコモディティー化を促したといわれる。
その一方で、ネットワークによって、データをどこからでも入手できるような世界を念頭にした新しいコンセプトの出現に相当出遅れてしまった。
「「しがらみ」や「思い込み」に左右されません」という言葉には、そういう反省が込められているように思う。
2.チャレンジできなくなった。
「結果が出て当たり前」のようなステータスを一度築いてしまった企業は失敗を恐れるようになる。
そして、その恐れにかられた企業人たちは、失敗したときの言い訳を用意するようになる。つまり、保身的になる。
「やることはやっていたし、こういう分析もしていたから問題ないと考えていました。」という言い訳の準備に大半の時間を割き、「世の中で本当に求められていることは何か」を考え、それに対して手を打つための時間はほとんど残されていない。
失敗するかもしれないチャレンジよりも、そこそこの結果が得られるであろう無難な改善が選択されやすくなるために、大企業はチャレンジできなくなってしまいがちなのだ。
3.尖ったコンセプトを出せなくなった。
チャレンジよりも説明可能な無難な結果を求める環境ができてしまうと、そこで働く者たちは「思い込み」に左右され、従来の延長線から脱することが難しくなる。
また、社内説明などにエネルギーを奪われ、尖ったアイデアやコンセプトを生み出す力さえ失ってしまう。
従来のコンセプトからは想像できない新しい尖ったコンセプトが生み出せたとしても、それを上司が理解し、その上司が経営陣に説明可能だと判断できるかといえば、答えはNOであろう。
理解されないだろうから、言い出すことも労力の無駄である。
そもそも理解されにくいものであるから、失敗した時に説明できないから提案できない。
そういう思考回路になりがちな大企業に、未来はない。
4.野心や危機感を失った。
我々のちからで未来を変えよう。変えられる。
そんな野心は、これまでに挙げた組織を渦巻く保身的な空気が吸い取ってしまっているのではないだろうか。
もちろん、「自分たちがひとつひとつ価値を産まなければ、会社がつぶれてしまう」という危機感さえも奪い去っているのではないだろうか。
企業とは、結局は個人の集まりなので、個人が農耕民族化してしまうと、企業そのものが勢いを無くしてしまうのだ。
5.技術力を失った。
彼らはVAIOの遺伝子として「息づいている」と言っているので、技術力を失ったとまでは宣言していないので、これは推測である。
上に挙げたような組織の中で、ひたすら叫ばれがちなのが、「効率化」というキーワードである。
高い技術力があってこそ、効率化を生み出すシステムが産まれるわけであるが、一旦その効率的なシステムが根付いてしまうと、個人の技術力は低下しかねない。
分業やアウトソースにより、製品の一部しか知らなくなったりすることで、設計の根拠や全体最適を考えられる人間がいなくなったりするのだ。
例えば、詳細設計や製造プロセスをアウトソースした場合、なぜこの設計はこうなっているかわからずに、上流のコンセプトだけを語っているような人間が産まれてくる可能性があるのだ。
そして、野心(危機感)の欠如がこれを加速するだろう。
6.品質が低下し、信用を失った。
技術力を失った組織は、少しずつ品質にひずみをきたしてくる。
根拠を知らずにモノやシステムを設計した結果、設計がよくないというケースもあるし、根拠もわからずにモノづくりをした結果、本来必要な精度が得られなかったというケースもあるだろう。
また、危機感の欠如から、作業員の教育や品質管理が甘く、想定される不良品を排除しないまま出荷してしまうというケースもあるだろう。
☑ まとめ
ということで、今日は、新生VAIOのメッセージをざっとチェックしたうえで、そこから「大企業が衰退しやすい理由」を考えてみました。