■日本の生産性が低いと言われている
いわゆる、ホワイトカラーエグゼンプションという制度の導入目的は、「生産性」の向上にあると聞いています。
この生産性というのは、いわゆる時間当たりの国内総生産GDPのようです。
以下の日本生産性本部の資料のとおり、確かに日本の生産性は他の先進国に比べて低いように見えます。
■では、成果主義によって生産性を高めることができるのか?
今回の残業時間と給料をリンクさせずに成果で評価しようという動きは、次のような仮説に基づいているように思われます。
成果への意識が低く、時間をかけて頑張ることが評価されるような文化があるから、だらだら仕事しているのではないか?
確かにそういう側面がないことはありません。
しかし、そういう「意識が比較的低いワーカー」は、どちらかというと「言われたことをやる」ようなスタイルが多いかもしれないので、仕事を与えられて残業が増えても給料が増えないとなれば、仕事を引き受けることに抵抗を始めるかもしれません。
ただ、確かに前よりは早く帰るかもしれません。
ホワイトカラーエグゼンプションが狙っているのは、こんなことではないでしょう。
一方、「意識が比較的高いワーカー」は、やるべきことを自分で考えながら仕事を進めていくし、そういう人には仕事がたくさん舞い込んでくるので、だらだらやることの意義が見当たりません。
そういう人にとっては、この制度が生産性を高めるモチベーションになるとは考えにくいのです。
それどころか、成果主義を強めることにはデメリットがあり、以下のエントリーでも記載したように、内的な動機づけを奪っていくというところが最大の悪であると思われます。
生産性を高めるという意味が、あまりベストなものを追求せず、そこそこの仕上がりのものを短時間で作っていけということであれば、内発的動機づけはむしろ奪われた方がよいのかもしれないです。
仕事は趣味じゃないんだから、のめりこみ過ぎるんじゃないよ、という考え方です。
確かにのめりこみ過ぎるのは頭が凝り固まってしまうという側面はあるのですが、内発的動機づけを失ってしまっては、元も子もありません。
最近の世の中は、コストダウンだけでは生き残れないようになってきています。
だれにも真似できない突出したアイデアや、一番手を走り続ける活力を持つ企業だけが生き残っていく感じになってきています。
そういう企業に必要とされるのは、仕事を効率的に進める人間ではなく、仕事を前向きに楽しめて、多彩なアイデアを出していける面白い人間なのです。
そういう人間を増やすために、今回の制度を活かして、仕事のスタイルに自由度を持たせられるようにすることは大賛成ですが、中途半端な成果主義は悪になりうるのです。
■今、勢いのある企業の取り組み
一方で、本田直之氏の著書「あたらしい働き方 」によれば、勢いのある企業(パタゴニア、ザッポス、エバーノートなどなど)は、生産性を高めるために 、働き方に個性を出しながら、優秀な人材の獲得に注力しているようです。
また、独自の制度によって、社員の時間に自由度を持たせ、様々な経験をすることをサポートしています。
効率化には限界があり、いかに創造性のある人材を確保するかが生命線であると考えているから、社員に自由を与えているのです。
しかし、自由と責任という絶妙なバランスを確保しながら、独自のカルチャーを作っているこのような企業の取り組みは、たとえ法律をつくったところで、一朝一夕には真似できないことかもしれません。
■まとめ
今回のホワイトカラーエグゼンプション制度は、まずは労働時間が長いのは悪であるという印象を、働く人に浸透させることができるかもしれません。
しかし、企業にいるやる気に満ち溢れたワーカーは、だらだら仕事をする気はさらさらないのだから、そんな彼らの内なるやる気をむしろ削ぐことのないように気を付けて、制度設計を行うことが大切だと思います。
以上でーす。